言葉の力
会社で嫌なことがありました。
悔しくて、悲しくて、虚しくて、久々に思いっきり泣いて、思いっきり目が腫れた。(笑)
涙で視界が揺れて事故らないかなと心配になりながら家路に着いて、なんだか変な夢を見て…
その次の日。
よりにもよって早番の日。
会社を開けるのも早番の役目だから普段は暗いのに、私が着いたらもう明かりがついていた。
フロアに行くと同期がいて、「もし今日来られなかったら代わりに早番するために来た」って笑って言った。
自分は休みなのに、私が休んでも大丈夫なようにいてくれた。
その前の日も私と一緒に泣いてくれた子。
早番作業を別のフロアで終わらせて自席に戻ってきたら、私の好きなパンと付箋に書いたメッセージを残してくれる先輩がいた。
「今日いつもと表情違うよ」って心配そうに声かけてくれて、話を聞いて一緒に怒ってくれた派遣のおばちゃんがいた。
何も知らないはずなのに、たまたま「最近元気?」って声をかけてくれて、私が甘えて色んなことを話したら、しっかり聞いて、頑張りを認めてくれるベテランさんがいた。
私の仕事が終わるまで待っていて、バカ話をしにご飯に連れて行ってくれる同僚がいた。
色んな人の優しさが心にペタペタ絆創膏を貼ってくれて、すっごくあったかい気持ちになった。
今度は昨日とは違う。
嬉しくて、幸せだなと思って涙が出てきた。
「言葉には人を動かす力がある」
昔からずっとそう信じてる。
だからこそ、自分が紡ぐ言葉には気を付けてるし、だからこそ、人の発する言葉にも敏感になってしまう。
言葉をナイフのように扱う人を気にしないほどまだ強くはなれないけれど、あったかい言葉を使って私を元気にさせてくれる人がそばに沢山いたことに気付かせてくれただけで、この嫌な出来事にも意味はあった気がする。
言葉を扱う仕事をしているからこそ、私の言葉で傷つけてしまいたくないし、少しでもあったかい気持ちになって欲しいな、だったらいいなと思う。
その願いを何よりも大切に、これからも言葉と向き合っていこう。
色んな人の温もりに包まれて、今日は良い夢見られそうです。(笑)
旅の栞@京都の紅葉
「丸2日予定が空いたし、どっか行くか」
そう思った瞬間から行き先や宿を調べて、予約して、食べたい物見たい物を選んで出発してた大学時代。
広島という土地柄もあるのかな。
山陰や関西とかは鈍行で行っても一泊二日で楽しめるし、なんなら尾道に泊まることもあった。
気付いたら住んでる町を抜け出て、家じゃないどこかへ向かってた。
あぁ、私はこんなに旅が好きなんだなっていうのは大学生の頃に知った。
今の時季だと京都の紅葉。
大学二年の時、どうしても「京都の紅葉」なるものを見たくて。
でも土日だと絶対に観光客が多いだろうから平日で、紅葉シーズンで、授業もなくて…、って日をなんとか見つけて、鈍行電車に飛び乗ったのがちょうど十二月の頭くらいだった。
もう散り始めてるかなと心配してたら、結果的に上にも下にも紅葉の空間という贅沢な世界を満喫できて、一人でめちゃくちゃ感動したっけ。
そういえば鹿児島にいた頃は「紅葉を見に行く」って概念がなかったなと思ったり。
秋の魅力を思う存分味わった瞬間だった気がする。
休みの日はいくらでも寝ていられる私が朝早起き頑張って清水寺も行った。朝の澄んだ空気に包まれて。
(この写真を撮った直後、大量の観光客が清水の舞台に押し寄せてきた。あっぶない)
紅葉って七色なんだって初めて思ったのはこの景色を見た時。
(まして、青空が綺麗な最高の日だった)
こちら。
有名な東福寺にも。
人は多かったけど、急ぐ旅じゃないからのんびり歩いて、のんびり写真スポットを見つけて…ってしてたら、人の多さ忘れて楽しんでたなあ。
秋って一年で一番短い季節っていう認識が私の中である。
暑かったと思ったら寒くなってて。
え、あ、いつ秋だった??っていつもなる。
だからこそ、目の前に広がる「秋でしかない季節」に心底惚れ込んだ。
満足したらまた鈍行に揺られて四時間あまり。
幸いバスは酔うけど電車はずっと乗ってても辛くないくらい好きだから、鈍行の旅は大好き。
お金のない大学生ってこともあって、関西、山陰、九州に向けての鈍行旅は結構してた。
あの頃のフットワークの軽さを忘れないようにしたい。
ま、今でも一泊でリュックひとつで割とどこへでも行ってしまうけど(^ν^)笑
毎日会社に行って仕事をしていると見えなくなってしまうものがある。
それを取り戻してくれて、またワクワクを持って帰れるのが旅行だなと。
すぐに現実に引き戻されてしまうけど(笑)、その時に充電した自分のパワーはどんどん良い方向に貯金されて行く気がする。
鹿児島では今いちょうが見頃。
「お名前何ですか?」
この質問をされるたび、「また戦いの時がきた!!」と思う(笑)
名前を教えると、次の質問。
「どういう漢字を書くの?」
こう聞かれたら最後。
いやいや、分かります。
私だって目の前に名前の知らない人がいたら名前が気になりますし、名前を聞けばどんな漢字で変換されるのか気になります。
ただ、私の漢字表記をノリで聞いた人は、その後に後悔することになります。
うまく反応できなくなるからです。
きっと普通漢字を教えられると、みんな「へー!そう書くんだねー!」と言って次の瞬間にはもうその漢字表記なんて忘れてると思うんです。
時間にして1分もかからない出来事だと思うんです。
でも私の場合は違うのです。
読み方は普通だけど、名前の最後に「袈」という漢字が使われているばっかりに、一連の自己紹介作業は難易度を増します。
引くに引けない状態になり、1分で終わらせることはできません。
「袈」と書き「か」と読むこの漢字。でも思いつく熟語は「袈裟」「大袈裟」など「け(げ)」と読むものばかり。
袈裟なんて若い人は分からんだろうと思ってまだ望みのある「大袈裟の袈」と説明するのですが、、、
その時、私と相手の間の時間が止まります。
100発100中、その説明で1回で分かってもらった例はありません。(じゃあ、他の説明考えんかい!とも思うけどそれも思いつかず)
頭で変換できていないのが存分に伝わってくるので、
「上が加えるで、下が衣で…」
と言ってもこの段階でもあまり伝わらず…
最終的に
「架け橋の『架』の下が木じゃなくて衣になるの!」
と言ったら、大抵「あ、あ〜〜」と言ってくれます。
ほぼ全ての人がこの第3段階まで通ります。
そして、私は思うのです。
(あぁ、次この方が私の名前を漢字で書く時は間違えるんだろう…)と。
私から説明受けた大体の人は何か機会があって、私の名前を漢字で書く時は8割「架」と書きます。
しかもドヤ顔で。
間違えられてショックというよりも、みんな揃ってドヤ顔なもんだからどうやって訂正しようか…!!という方に気持ちが向きます。
そして、もはや本当は自分の名前は「架」なのではと思うほど、この間違い率が高いのです。
美容室やショップとかのDM、病院の診察券、学生時代のプリント類、行政からの封筒の宛名(中身は合ってて安心した)…
いや〜思い込みって怖いですね。
確かに私は「袈」と書いているはずなのに、いざ相手に書いてもらおうと「架」になる。(笑)
でも、それも受け入れてるので日常生活に支障がなければほとんどの場合は指摘せずに「架」で通します。(!)
だから割と私の周りに「架」のものが溢れてしまっているんだろうけど。
むしろ、「袈」で書かれると感激する。リアルに惚れそうになるレベル。(笑)
毎回名簿とか配られた時、(私の名前間違えてないかな…間違えてたらどう反応しよう…)と困る。(笑)
なので、私の名前を間違いなく書けたら確実に好感度が上がります。よろしくお願いいたします。(笑)
なんだかんだ言っても、この一悶着ある名前が私はとっても気に入っています。
次名前をつけてもらう時もこの漢字を使ったこの名前がいいです。
話のきっかけにもなるし。
かぶらない名前だし。
お父さんつけてくれてありがとうってなる。
(母は父が名前をつけるまでこの漢字見たことがなかったらしい…笑)
"名は体を表す"
とも言いますし、私もこの名前から感じられる両親の思い(ほぼ父の思い笑)を無下にせず、この名前とこれからも仲良く、たまにけんかしながら(困らせられるから)生きていこうと思います。
(^ω^)
#アミュのツリーができるまで
最近このハッシュタグでインスタを更新しています。
中央駅まで足を運んだ日はほぼ毎日。
毎年恒例のアミュ広場の大きなツリー。
去年もほぼ毎朝アミュ広場付近を通るので、たまーに撮っていたのです。
ツリーの変遷を。
周りからはあの人何やってんだみたいな目で見られるんだけども!
恥ずかしさ殺して何枚も撮るんだけども!!(笑)
比べてみたら案外面白いなと思いまして、今年も続行。
今年はちゃんと毎回あげることにしています。
これが去年のざっくり。
パネルっぽいのがどんどんついていき…
完成!ピッカピカ!!
そして撤去。(ちゃんと終焉まで見守ります)
続けてみたら面白くないですか?
そして、本日(11/7)のアミュ広場。
今年はどんなツリーかな(^ω^)
去年と一緒の予感がしないでもないけど(^ω^ ; )
さあ、今日も絶賛観察続行中。
心豊かな生活はツンデレ猫様にあり!
鹿児島で実家から通って働いていると、よく「一人暮らししないの?」と言われます。
「大学、一人暮らしだったんでしょー?よく耐えられるね!」とも。
私は「しない」と即答。(笑)
1番の理由は「猫がいるから」。
・・・。
分かります?!
猫好き、いやペットを飼ったことある人なら分かるはず!
家に帰ったら可愛い獣がいるあの感覚を!!
大学時代、県外で一人暮らしをしている時、家族から可愛い猫の写真が送られてくるたび、早く帰ってもふもふしたい!ってなりました。
実家に帰ってきたら真っ先に猫のところに行って「獣〜〜〜!!!!」と盛大に絡みました。
もちろん猫なので、私の感動の再会などお構いなしにひょいっと逃げてしまうのですが。
今、うちにいる猫は2匹。
のんちゃん。
あんずちゃん。
2週間違いで生まれた4歳です。
この子たちのことを語ると止まらなくなるので、それはまたの機会に…。
実家のすぐ近くの祖母の家には、ポポ(14歳のおばあちゃん猫)、はち(去年ふらっと迷ってきた若造猫)、クロ(気が向いた時に餌を食べに来る自由奔放猫)がいて。
さらにさらに近くの猫友(本当に猫きっかけで仲良くなった)の家にも可愛いにゃんずがずらり。
仕事で疲れて帰ってきた時、ツンデレな猫とたわむれる時間で、きれそうになってる体力の充電をするのです。
だから実家暮らしはやめられない。
一人暮らしは単純にお金もかかるもんね。
色々とありがとう。猫ちゃんたち。
追記。
朝、会社に行く前に猫を触りたいのに、もう外に出てて会えない時があって。
そんな時玄関出てから大きな声で「のーん!あんずー!」と呼ぶけど出てこなくて。
そしたら駅に着いた頃に母から「隠れてたよ」とLINEが。
くうう!!私はこんなに好きなのに!!
どこまでもツンデレなやつらめ!!
それでも猫好きはやめられない。(笑)
夢の音が 吸い込まれゆく 秋の空
この間C&Kのライブに行ってまいりました。
メンバーのKEENの地元、鹿屋市での野外ライブ。なんと観客15000人という大規模ライブ!
先輩に誘われて行ったライブで、怒られそうだけど正直今までc&kを自分から聞いたことはありませんでした(←)
事前にDVDとCDを借りましたが、正直ほぼ聞きませんでした(←)
でも、DVDをチラ見して思ったのは、めちゃくちゃ楽しそうだから知らなくてもテンションでなんとかなるんじゃない?ってこと。(決して言い訳ではない)
そして、いざライブ当日!
前日まであんなに晴れてて暑かったのに、急に秋風、曇り空!
でもでも!奇跡的にライブ中は雨に降られませんでした。(開演2分前くらいちぱらついたけど)
ライブ前は寒かったのに、2人が出てきて、みんなでめちゃめちゃに踊ったらすっかり暑くなった!
曲知らないのに踊れる不思議。
バラードはひとつひとつの音が夜空に吸い込まれていくようで、風がすごく心地よくて、その曲の持つ力をいつもの何倍も味わえた気がする。
毎年8月にあるGOOD NEIGHBORS JAMBOREE でも思うんだけど、自分が全然知らない曲でもその時同じ空間にいる人と心地よい空気が流れる瞬間が絶対にあって、そんな時、ただただ「音楽ってすごいな」って思う。
知ってる知らないとかじゃない。
音楽がそこにいる人を結びつけて、みんなが同じ音に耳を傾けて、身体を揺らしたり、隣の人と笑い合ったり、時には泣いたりしながら、全身で味わう。
その空間がとにかく好きだ。
だからライブが好きだ。
音楽を演奏するのも歌うのも苦手だけど、聴く専門の私でもちゃんと受け止めてくれる。
音楽との出合いが人との出会いを紡いでいく。
少しずつ。
一音ずつ。
一瞬の音に無限の未来が詰まってる。
ちなみに2人の人柄と歌声にやられ、すっかりc&Kファンになった私でした。(笑)
「期待の新人10年目」というのが頷けるあのギラギラした感じ、素直に応援したくなった。ヾ(@⌒ー⌒@)ノ
心豊かな休日のすゝめ
映画が好きです。
もう少し待てばDVDで見られるじゃん派もいると思うんですが、私は映画館推しを貫いてます。
高校生くらいで1人映画デビューも果たして、今では1年で見るうち8割が1人映画。
観たいのがある時、むしろ観たいのない時でも休みの日暇だったら街に出ていい感じの時間にある映画を観る。
特に(シフト制の職場なので)水曜休みの日はほぼ映画を観に行く。
カフェ行って、映画観て、美味しいコーヒーまで飲めたら、その日の休日は花丸満点!
そんな日をまた今日も過ごしてきました。
今日は久々に人と一緒。
美味しいランチ食べて、
美味しいコーヒー飲んで、
(ああぁソルジャー大好き…!!)
さぁ、映画!今年11本目!
今回は人におすすめしてもらった「ドリーム」を。
NASAで活躍した黒人女性の奮闘を描いた物語で、原題は「Hidden figures」。
観終わってこの原題の今が腑に落ちた。
そんでもってすっっごく勇気をもらった!
今だったらなんだって出来る気がする!(笑)
自分の信じたことをコツコツ積み重ねていけば、それを見てくれている人は必ずいる。
静かに見守ってくれる人、困ってたら助けてくれる人、これは違うと教えてくれる人…
それぞれが自分にとって必要で、そんな人がいてくれたら自分は本当に幸せだと思う。
そのために、まずは私自身がしっかりと立っていたい。
自分だけの世界の中心で堂々と。
どんな邪魔があっても、自分だけは腐らず立っていたい。
この映画に力をもらってまた頑張ろう。
そういうことを思わせてくれるから、やっばり私は今日もまた映画館に足を運ぶ。