あなたと笑い合った時代を忘れない
「1週間前は…」
旅行など何か大きな出来事があった時、写真を見ながらついそうやって思い出に浸ってしまうのが幼い頃からの私の癖。
「1週間前はここでこんなことしてたな…」
「こんなの食べてたな、懐かしい」
今まで何度も何度もそうやって振り返ってきた「1週間前」。
でも、今回は何よりも特別。
危うくて、切なくて、そして大切。
1週間前は、
おばあちゃんが生きていた。
1週間前は、
おばあちゃんと少しでも長く過ごせるようとにかく叫んでいた。
1週間前は、
おばあちゃんとの最後の時間を噛みしめていた。
94歳10か月で旅立ったフチノおばあちゃん。
高齢なのにいくつになっても足腰の痛みなんてなくて、つい最近も散歩をして、お友達とお喋りをしていた。
ゲートボールが生きがいで、ずっと続けていた。
容態が急変したと電話があったのは夕方。
その日の朝、おばあちゃんに会いに行って普段通り喋って、写真を撮ったばかりだった。
おばあちゃんちの近くの病院から、もっと大きな鹿児島市内の病院に向かうと連絡があった。
合わせて伝えられたのは、「もしかすると救急車の中で…」。
「もう一度だけ会いたい」
願いはそれだけだった。
なんとか無事に市内の病院に運ばれてすぐに検査。
次にお医者さんから言われたのは、「検査に耐えきれるかどうか…」。
病院嫌いなばあちゃんだったのに、病院はしごして検査までして、本当にすごいと思った。
お医者さんから見せられた数値とレントゲン写真は、絶望的で。
むしろ、今おばあちゃんがどうやって息をして、命を繋いでいるのか分からなかった。
数値で見ると、何度も言われた「今がお別れの時になってもおかしくない」という言葉に納得できた。
でも、検査が終わってやっと会えたおばあちゃんは、しっかりと息をしていた。
なんなら起き上がろうとしたり、寝返りをうとうとしたり、とにかく生きていた。
私達がそばに寄り添ってからおよそ6時間も、懸命に生きていた。
お茶を何本買っても足りなかったのは、それだけみんなで必死に「おばあちゃん」と叫んでいたからなのだと、後で冷静になって気付いた。
「頑張ってくれてありがとう」
最後はそれしかなかった。
「もう十分だよ、すごいね。頑張ったね」
高齢で、苦しかったはずなのに、「力いっぱい」「力の限り」…むしろ、力以上に生きてくれた。
一生懸命息をしていた、頑張っていた姿を思い出すたびに涙が出る。
自分には一生真似できないような強さを見せてくれた。
全く怒らず、人の悪口も言わず、優しく穏やかだったおばあちゃん。
でも、胸の内にあんな底力を秘めていたんだね。
そりゃそうだよね。
大正、昭和、平成。
たくさんの時代を生きて、たくさんの苦労をしてきたんだもんね。
いつもの優しさも、最後に見せてくれた強さも、ずっと忘れないよ。
青空を見るとやっぱり寂しくなるけれど、おばあちゃんが繋いでくれたから私の周りには大切な家族がいます。
おばあちゃんが大切にしていたものを、これからも守っていくね。
たくさんの宝物をありがとう。
しばらくゆっくり休んだら、また元気にゲートボールを楽しんでね。